20ヶ月滞在したオーストラリアから帰国して7年が経とうとしている。

この間、カメラマンになるための下積みをし、結婚もし、子供も生まれて、
フリーランスのカメラマンにもなった。
いまは仕事と家庭となんやかんや忙しくやっているが、気持ちの一部はいまもオーストラリアにある。そしていつかまたあの自由な国で自由な旅を再開する日を思っている。

17年後、上の子が成人するとき僕は50歳だ。一人でバックパックを背負って旅にでる。現実的には不可能ではないけれど、実際にやったとしても、追い風がいつも吹いていて前に飛んでいくようなあの感覚はないのだろう。だって50歳だよ。周りの若いバックパッカーが眩しくて目をしばしばさせているのがオチだろう。

そんなことを甲府の家に転がっていたオーストラリア1$コインを見て想像していた。

でも必ずオーストラリアには戻る。続けて考える。つまりオーストラリアは青春だったということ。青春は若さの特権。ジジイになって青春をもう一度なんて悪趣味なことはしない。人生折り返しを過ぎたそのときの等身大の自分がどうオーストラリアを捉えるか。長い年月で自分も変化するが国なんかガラッと変わるだろう。そこのところも含めてオーストラリアを楽しもう。だからいまはその日を心待ちにしてやることをやる。いまはそんな時期なんだ。

1$コインを見てそんな妄想を膨らませ自己完結。
さー現実に戻って、庭の野菜に水をまいて、洗濯物を取り込んで、カブトムシの土を入れ替えて、仕事に行こう。なんやかんや忙しい。

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